お腹いっぱい食べたあと、「また食べ過ぎた」と後悔が来る。そんなことはないだろうか。
私は、ずっとそうだった。亡くなった大親友には、よく「せっかくご馳走してるのに、なんでそんなにがっかりするの」と言われた。お腹いっぱい食べたのなら、幸せなことじゃないか、とも。しかし私には、その意味が分からなかった。
ところがある晴れた日、公園で卵サンドを食べて、私は「幸せだな」で終わることができた。そして、友人が言ってくれていた言葉に思いを馳せていたら、涙が出てきた。なぜ今まで、食べた幸せを味わえなかったのだろう。その答えを探して、この記事を書いた。
この記事の結論
食べ過ぎて後悔するのは、その食事が「味わう」ためではなく、ストレスを「忘れる」ためのものになっているからかもしれない。
- 嫌なことを忘れたくて食べている時、頭の中は目の前の食べ物でいっぱいになる。そのため、「もうやめておこう」という気持ちが働きにくくなる。
- 「また食べ過ぎた」と自分を責めても、食べ過ぎを止める力になっていなかった。むしろ罪悪感が強い人ほど、「食べる量を自分で決められる」という自信を持ちにくかった。
- スマホを見ながら食べると、食べる量が増える。さらに、何かに気を取られながらの食事は、次の食事の量まで増やす。一方で、「おいしかった、お腹いっぱい」と覚えている食事のあとは、次に食べる量が少なくなる。

目次
幸せで終われた日、何が違ったのか?
その日は晴れていた。近くの公園のベンチで、私はおそらく二人分はある卵サンドを、ひとりで食べた。目の前には芝生が広がり、白いモンシロチョウが、地面から20〜30センチほどの高さをひらひらと回っていた。
子どもたちは、プラスチックのバットで野球をしている。その向こうでは、父と子がサッカーをしている。そして、おじいさんが少し下を向いて、ゆっくりと歩いている。一歩一歩、確かめるように。
私も食べ終えて、芝生の上を歩き出した。お腹がいっぱいだった。そして、しみじみと「幸せだな」と思った。
しかしそれは、卵サンドがおいしかったから、だけではなかったと思う。もちろん、おいしくなければ幸せは来ない。
その卵サンドは、ゆで卵が大きめに切ってあった。白身には歯ごたえがあり、マヨネーズは控えめだった。そのため、卵の食感と味を、そのまま味わうことができた。
そして目では、芝生とモンシロチョウを追っていた。耳には、ヒューピッピ、ヒューピッピと鳴く鳥の声が届き、肌には外の風が当たっていた。かすかに、草の香りもした。そのすべてが満たされて、「おいしい」より先に「幸せだな」が来たのである。
いつもなら、ここで後悔が来る。「お腹いっぱい食べちゃった、どうしよう」。幸せを実感する前に、その声のほうが先に来るのだ。
そして後悔は、それだけでは終わらない。「なんで私は、自分をコントロールできないんだろう」「なんで食欲が暴走しちゃうんだろう」。そうやって、私は自分を責め続けてきた。
しかしこの日は、「幸せだな」のところでとどまることができた。そして、「お腹いっぱい食べて、幸せなことじゃないか」という友人の言葉を思い出していたら、涙が出てきた。
脳はずっと「幸せだな」を味わいたかったのに、私はそれを味わわせてあげられなかったのかもしれない。
そう思った途端、これまでの食事の後悔まで、一緒にあふれてきたのである。
後悔の中身は、何だったのか?
後悔が来るとき、私の頭に浮かんでいたのは、こういうことだった。「体を痛めつけてると思うの」。胃だけではなく、体のいろいろな臓器に負担をかけている。コレステロールの値はどうなるのだろう。血糖値は。そして、太ってしまうかもしれない。
さらに最後には、こう思う。「腹八分目のところで制限をかけられない自分自身が情けない」。
ここには、二つの違うものが混ざっている。ひとつは、体を心配する気持ち。もうひとつは、自分を責める気持ちだ。
体の心配は、もっともなことである。ただし、満腹感から血液の数値は分からない。気になる数値があるなら、それは健康診断の結果をもとに、医師と考えることだ。
一方で「情けない」は、体の心配とは別のものである。体を気づかうことと、自分を責めることは、別のものとして扱っていい。
心理学――なぜ、責めても食べ過ぎは止まらないのか?
罪悪感は、食べ過ぎのブレーキになるのか?
後悔のあと、私はいつも自分を責めていた。責めたくて責めていたわけではない。情けないと思う。しかし、やめられない。その繰り返しだった。
では、この罪悪感は、何かの役に立っているのだろうか。
この問いを調べたのが、ニュージーランドの研究者KuijerとBoyceである。チョコレートケーキと聞いて、まず「罪悪感」が浮かぶ人と、「お祝い」が浮かぶ人。この二つのグループで、食べ方への気持ちを比べた。
もし罪悪感がブレーキになるなら、「罪悪感」の人のほうが、健康的に食べようと強く思っているはずだ。しかし、そうではなかった。二つのグループに、その差は見られなかったのである。
さらに翌年の研究では、ストレスが強い時、「罪悪感」の人のほうが、むしろ不健康な食べ方をしていると答えていた。そして、「自分で食べ方を決められる」という感覚も低かった。
ひとことで言えば、罪悪感は、食べ過ぎのブレーキになっていなかった。
これらは、罪悪感と食べ方の関連を調べた研究であり、罪悪感が原因だとまでは言えない。しかし少なくとも、責めても止まらないのは、私だけではなかったのである。
私は、食べることを自分でコントロールできる人でありたかった。腹八分目で、自然に箸を置ける人に。それなのに、責めるほど、自分で選べる感覚は遠のいていたのかもしれない。
ストレスを紛らわすために食べると、何が起きるのか?
公園で、私はもうひとつのことに気づいた。幸せを実感しないから、私は食べ過ぎるのかもしれない。これだけ食べても「幸せ」と思わないから、次々と食べ続けるのではないか、と。
そう考えると、食べることには、少なくとも三つの形があるように思う。
- お腹がすいたから食べる。体が必要としている時の食事だ。
- ストレスを紛らわせたくて食べる。食べている間は、ほかで受けたストレスを忘れていられる。しかし、食べているという感覚そのものも、だんだん麻痺していく。
- そして、五感が満たされて「幸せだな」と感じる食事。あの日の公園は、これだった。
研究では、体の必要から来る食欲と、快楽を求める食欲は、分けて考えられている。Loweらは、カロリーが必要だからではなく、快楽のために食べることが増えていると指摘し、これを「ヘドニック・ハンガー(快楽による空腹)」と呼んだ。
そう考えると、二つ目も三つ目も、体の必要だけでは説明できない食事である。では、この二つは何が違うのだろう。
HeathertonとBaumeisterは、過食を「自分を見つめ続けることから、いったん離れようとする行動」として説明した。自分への厳しい見方や不安から逃れたい時、人は注意を目の前の食べ物だけに狭め、広く物事を考えることを避ける。そして、その狭まった注意が、ふだん食べることにかけているブレーキを外してしまう、という理論である。
ひとことで言えば、ストレスを紛らわすために食べている時、私たちは味わうためではなく、忘れるために食べている。
ただし、この理論が描いているのは、だらしない人ではない。そうした食べ方に向かいやすいのは、自分への基準が高く、周りからの期待を敏感に感じ取ってしまう人だという。
つまり、食べることで逃げたくなるのは、弱いからではない。それだけ、周りに応えようと頑張ってきたからなのだと思う。
ここから先は、研究ではなく私の読みである。忘れるための食事では、味も、景色も、風も、目に入らない。そのため、いくら食べても「幸せだな」までは届かない。そして届く前に、後悔が来る。私のいつもの食べ過ぎは、これに近かったのかもしれない。
脳科学――「幸せだな」は、どこから来るのか?

五感は、脳の中でひとつになるのか?
では、三つ目の「幸せだな」は、どこから来たのだろう。
Rollsは、食べ物の心地よさが脳でどう表されるかを研究してきた。舌で感じた味、鼻で感じた香り、口の中の食感、そして目で見た食べ物の姿。これらは、眼窩前頭皮質(目の奥のあたりにある脳の部分)で合わさって、ひとつの風味になる。そして、その食べ物の心地よさは、ここで表されるという。
さらに、何に注意を向けるかによって、この心地よさの働きが変わることも分かっている。
ひとことで言えば、「おいしい」「心地よい」は、舌だけでなく、香りや食感、見た目が脳の中で合わさって生まれる。
研究が示すのは、ここまでだ。あの日の私には、鳥の声と、肌に当たる風もあった。それらまで含めて「幸せだな」になったというのは、私の実感である。あの日は、五感のすべてが満たされて、「幸せだな」で食事が終わった。
味わった記憶は、次の食欲を変えるのか?
ブラジルとオランダの研究者たちは、若い大人62人に、何もしないで食べる時と、スマホを使いながら食べる時の量を比べてもらった。その結果、スマホを使いながらの食事では、食べる量が増えていた。
Robinsonらは、注意や記憶が食べる量にどう関わるかを調べた24本の研究をまとめた。その結果、テレビなどに気を取られながら食べると、その場で食べる量が少し増え、次の食事ではさらに大きく増えていた。一方で、食べたものの記憶をはっきりさせると、あとで食べる量が減っていた。
Robinsonは、前の食事を「お腹が満ちて、満足した」と思い出せた人ほど、次の食事で食べる量が少なかった、とも述べている。
ひとことで言えば、気を取られて食べると、あとでもっと食べたくなる。そして「満たされた」と覚えている食事は、次の食欲を落ち着かせる。
ここからは、私の読みである。忘れるための食事は、記憶に残らない。だから、また欲しくなる。しかし、あの日の卵サンドは、白身の歯ごたえまで覚えている。満たされた記憶があれば、次の食事で、私は自分で箸を置けるのかもしれない。
飢えの記憶は、本能なのか?
ところで、「人間は飢えの時代の名残で、食べられる時に食べてしまう」という話を、よく聞く。しかし研究では、祖先の飢餓によって太りやすい遺伝子が残ったという説は、今では疑問視されている。唱えた本人が、飢饉は強い選択の力を生むほど頻繁ではなかった、と考え直しているのだ。
では、飢えは食べ方に関係ないのか。そうとも言い切れない。
ひとつは、生まれる前の飢えである。第二次世界大戦の終わりのオランダで、母親のお腹の中にいた時に飢饉にあった人たちは、18歳になった時、太りやすい傾向があった。
もうひとつは、今の不安である。「食べ物が手に入らなくなるかも」と感じると、人は多めに蓄えようとする、という説がある。
つまり、飢えが食べ過ぎに関わるとしたら、それは遠い祖先の記憶ではない。その人自身の体験や、今感じている不安のほうなのかもしれない。
スピリチュアル――脳は、幸せを味わいたかった
ここからは、研究とは確かめ方の違う話になる。
公園を歩きながら、ふと思った。「幸せを実感したいんだと思う、私の脳は」。そして、こうも思った。「食べれない人だっているんだしさ」。私自身も、過去世や、これまでの魂の経験の中で、ひもじい思いをたくさんしてきたのだろう、と感じた。
禅寺では、食事の前に「五観の偈」を唱える。道元が『赴粥飯法』に記した、食事に向かう五つの想いである。そのひとつ「功の多少を計り彼の来処を量る」は、この食事が作られるまでに、どれほどの手間がかかったかに思いを向ける、という意味だという。
五観の偈は、食べ物を、その向こうにあるものと一緒に受け取る作法なのだと思う。あの日の私も、卵サンドと一緒に、芝生やチョウや風を受け取っていた。
脳は、ただ幸せを実感したかったのだと思う。私がそれをさせてあげなかったから、いつまでも引きずっていたのかもしれない。
私はこれまで、潜在意識は気づいてほしいことがあると、ノックし続けると書いてきた。同じことが繰り返されるのは、罰ではなく合図なのだと。
何度も繰り返してきた食べ過ぎと後悔も、そのノックだったのかもしれない。そして、あの日の涙は、そのノックにやっと気づけたしるしだったのだと思う。
足りなかったのは、食べ物だったのか?
友人の言葉が、今なら少し分かる。お腹いっぱい食べて、幸せなことじゃないか。本当に、そうだったのだ。
足りなかったのは、食べる量ではなかった。「幸せだな」と味わう、ほんの数秒だったのかもしれない。後悔が来る前に「幸せだな」が届いた日、私はやっと、食べたことを受け取れた。
そして、食べることを自分で選べる私でいたい、という願いも、責めることでは叶わなかった。満たされたと感じられた時、はじめて「もう十分」と自分で言えるのかもしれない。
これで食べ過ぎがなくなるのかは、まだ分からない。たった一日のことである。そして明日、また後悔が先に来るかもしれない。それでも、晴れた芝生の上で知ったこの感覚を、私は覚えておきたい。

次の日のランチ、私はどうしてもマグロ丼が食べたかった。鉄分を取りたかったのか、それともエネルギーを欲していたのか。そして、近くのお魚屋さんに駆け込んだ。
運ばれてきたマグロ丼を前に、私は簡単にお祈りをした。「マグロさん、ありがとうございます。ここまで運ばれて、関わってくださった人たちに感謝します」。
すると、自然に涙が込み上げてきた。私は泣いた。
この食事は、奇跡のはずだ。海のものを、港のないところで、おいしくいただける。それは当たり前ではない。安定して届けてくださる仕組みがあり、そこで働く人々のお勤めがある。五観の偈の「彼の来処を量る」とは、こういうことだったのかもしれない。
この涙を、私は忘れない。毎回でなくてもいい。この魂からの震えを、また味わいたい。
食べることを自分で止められない、食べたあとに苦しさが強く続く。そんな状態が続くときは、ひとりで抱えなくて大丈夫です。医療機関のほか、国が委託する摂食障害全国支援センターの「相談ほっとライン」では、ご本人だけでなくご家族からの相談も受けています。
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Zoom・60分・15,000円
参考にした研究・資料
- Kuijer & Boyce (2014) Chocolate cake. Guilt or celebration?|PubMed
- Kuijer, Boyce & Marshall (2015)|PubMed
- Lowe & Butryn (2007) Hedonic hunger|Drexel University
- Heatherton & Baumeister (1991)|PubMed
- Rolls: Taste, olfactory, texture and visual processing of food reward in the brain
- Rolls: Cortical processing of taste and smell|Cambridge
- Smartphone use while eating increases caloric ingestion (2019)|PubMed
- Robinson et al. (2013)|PubMed
- Food memories can help with weight loss|ScienceDaily
- Tight Jeans? Don’t Blame Your Genes|Yale Scientific
- Dutch Hunger Winter(Conti et al.)
- Nettle et al. (2017) The insurance hypothesis|Northumbria University
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