横になって、目を閉じる。音楽が流れ始める。ただ、いつもより深く、速く、呼吸を続けるだけ。それだけなのに、数分後には、涙が止まらなくなっている人がいる。
今日、何か悲しいことがあったわけでも、誰かに何かを言われたわけでもない。ただ呼吸を変えただけなのに、その先で、悲しかった記憶の場所に連れて行かれる。そして、そこで涙があふれる。
前回、「安心すると、なぜ涙が出るのか」について、脳科学・心理学・スピリチュアルの三つの視点から見てきた。そこで見えてきたのは、涙は安心の「原因」というより、それまで出せなかった感情が出てこられる「条件」なのかもしれない、ということだった。
今回の問いは、少し違う。安心を待つのではなく、呼吸という体の使い方だけで、なぜその「条件」が作れてしまうのか。

脳科学から見た「呼吸の涙」
呼吸と、脳への血流の変化
自律神経は、心拍も消化も体温調節も、ほとんどが自分の意思では動かせない。その中で唯一、呼吸だけは例外だ。
深く速い呼吸を続けると、体の中の二酸化炭素濃度が下がっていく。二酸化炭素には脳血管を拡張させる働きがあるため、その濃度が下がると、逆に脳血管は収縮し、脳への血流が変化する。
ドイツのエルンスト・シュトリュンガー神経科学研究所のマルタ・ハヴェニス氏らが2025年に発表した研究では、この二酸化炭素濃度の低下そのものが、変性意識状態の出現を支えていることが示された。つまり、呼吸のリズムを変えるだけで、脳という臓器そのものの状態を、一時的に変化させることができるということだ。
変性意識状態と、感情の記憶
日常とは異なるこの意識の状態は、「変性意識状態」と呼ばれる。瞑想の深い段階や、トランス状態、夢と現実の境界があいまいになる状態なども、この変性意識状態の一種とされる。
2025年、イギリスのサセックス大学医学部のエイミー・カーター氏とアレッサンドロ・コラサンティ氏らが、激しい呼吸によるブレスワークを行っている実践者を対象に、脳のMRI計測を伴う研究を発表した。それによると、変性意識状態の強さは、脳の複数の領域での血流変化のパターンと関連していた。
特に、感情の記憶を処理する扁桃体や海馬の領域では、血流の増加と、より強い変性意識体験との間に相関がみられたという。扁桃体と海馬は、感情と記憶の処理を専門に担うことが確立している脳の部位だ。
変性意識状態にある間、普段は強く働いている理性や自己批判のフィルターが緩むと解釈されている。「こう感じてはいけない」「これは言ってはいけない」という、日常を生きる上で無意識に働いているブレーキが外れ、感情や感覚がより直接的に体験されるようになる。
なぜ「思考」より先に、涙が動くのか
ここに、この現象の面白さがある。多くの場合、涙が先に出て、意味や記憶は後から追いついてくる。「なぜ泣いているのか分からないけど、涙が止まらない」という感覚を語る人は少なくない。
カーター氏らの研究が示すように、呼吸によって強く動くのは、感情や記憶を処理する扁桃体や海馬の領域だ。
ここから先は私の見立てになるが、こうした感情の処理を担う部位が、言葉や論理を扱う部位よりも先に強く動くのだとすれば、理由よりも先に涙だけがあふれる、という順番にも説明がつく。
ここから先は、研究結果だけでは説明しきれない体験の領域に入っていく。「呼吸をしていたら、一瞬にして、向き合わなきゃいけない場所にポーンと行く」——私は、このワークをそう感じている。
悲しかったこと、辛かったこと、今抱えているトラブルの元になっている場所。そこに、考えるより先に、体ごと連れて行かれる。
なお、私が一人でこのワークを行えるのは、資格を持ち、十分な経験を積んできたからだ。ホロトロピック・ブレスワークは本来、経験を積んだファシリテーターのもとで行うものであり、知識のないまま一人で自己流に行うことは推奨されない。
面白いのは、それでも理由がわからないまま泣いているわけではない、ということだ。
「パン」と場面が切り替わった瞬間、一瞬「あれ、今どこに来たんだろう」と戸惑うことはあっても、なぜそこにいるのか、なぜ向き合う必要があるのかは、すぐにわかるという。叫びながら泣いていても、その最中に、自分をちゃんと見ているもう一つの目がある。
どっぷりその場面に入り込みながら、同時に、それを外から観察している自分もいる。この「没入」と「観察」が同時に成り立っていることが、体験をただの発散で終わらせず、昇華やセラピーへとつなげているのだと考えられる。

心理学から見た「呼吸の涙」
カタルシス、ふたたび
前回、カタルシス(感情の浄化)について、「泣けば必ず楽になるわけではない」という現代心理学の慎重な立場を紹介した。この慎重さは、ブレスワークのような手法にこそ、より強く当てはまる。
感情を強制的に引き出すことそのものが治療になるのではなく、安全な状況の中でその感情を経験し直し、意味づけることが大切だとされる。ブレスワークで涙があふれた後、何が起きたのかを言葉にしていく時間(シェアリング)が重視されるのは、そのためだ。
涙は出発点であって、終着点ではない。
抑え込まれてきた感情の「置き場所」
日常の中で、人は多くの感情を抑え込んで生きている。悲しくても泣けない場面、怒っていいはずなのに笑って流した場面。そうした感情は消えてなくなるわけではなく、行き場を失ったまま、体のどこかに残り続けると考えられている。
特に日本は、感情を表に出すより、抑えることを美徳としてきた文化だ。悲しくても泣かない。怒っていても飲み込む。その積み重ねが、いつのまにか体の中に溜まっていく。
ブレスワークの中では、その時に言えなかった言葉が、声になって出る。理性でコントロールする余裕がなくなるほど呼吸に集中する時間の中で、抑え込まれていた感情が、ようやく出てこられる場所を見つける。
感情を抑えるのではなく、爆発させる。感情を抑える文化の中で生きてきた日本人にとって、取り組む意味のあるワークと言えるのかもしれない。
これは、一人で無理に感情を追い込む行為ではない。音楽と、声による誘導、そして見守ってくれる人がいることで、体は安心して深いところまで開いていくことができる。安全に設計された場だからこそ、通常なら抑え込んでいる感情が、表面まで出てくることができる。
初めてこのワークをした翌日、会う人会う人に「今日、綺麗だね」と言われた、という体験を語る人もいる。抱えていたものを出し切った後の顔つきや空気感の変化は、周りにもはっきり伝わるものなのかもしれない。
愛着理論と、体に残ったもの
前回扱った愛着理論の「安全基地」は、人との関係の中で作られる。だが、安全基地が十分になかった時期の感情は、言葉にならないまま、体の記憶として残ることがあるとされる。
乳幼児期のように、まだ言葉を持たない時期の体験は、そもそも言語化される前に感情として体に刻まれる。大人になってその出来事を「思い出す」ことができなくても、似た状況になった時に、体が先に反応することがある。
ブレスワークのように、思考を介さず体に直接働きかける手法は、この「言葉になる前の記憶」に触れる入り口になり得ると考えられている。
インナーチャイルドという考え方
「内なる子ども」という概念には、いくつかの系譜がある。ユング心理学における元型的なイメージとしての「子ども」、交流分析における「チャイルド自我状態」、そして1990年代にジョン・ブラッドショーの著作によって一般に広まった、傷ついたまま心に残る子どもの頃の自分、という捉え方。
呼び方も文脈も少しずつ違うが、共通しているのは、大人になった今も、幼い頃の感情や体験が、意識の外側で今の自分に影響を与え続けている、という視点だ。
呼吸のワークの中で、「小さい頃の自分」を思わせる感覚や場面に触れて涙が出る、という体験が語られることがある。
それは過去に戻ることではなく、体の中にずっと残っていたものに、今の自分がようやく触れられた、という瞬間なのかもしれない。実際に、ブレスワークで最初に触れるのは、この「小さい頃の自分」であることが多いという。
そして、回数を重ねていくうちに、その先にある、もっと大きな何か——個人の記憶を超えた場所にたどり着く人がいる。次の章で扱う「集合的無意識」は、その延長線上にある。

トランスパーソナル心理学・スピリチュアルから見た「呼吸の涙」
ホロトロピック・ブレスワークという方法
ホロトロピック・ブレスワークは、精神科医スタニスラフ・グロフによって開発された呼吸法だ。もともとグロフはLSDを用いた精神医学研究を行っていたが、法規制によってその手法が使えなくなったことをきっかけに、薬物を使わずに変性意識状態へ導く方法として、この呼吸法を編み出した。
妻でヨガ講師のクリスティーナ・グロフとともに体系化し、ネイティブアメリカンの伝統的な呼吸儀礼も参考にしたとされる。グロフは、この手法を通じて得た膨大な臨床的な観察をもとに、アブラハム・マズローらとともにトランスパーソナル心理学という新しい分野の基礎を築いていった。
トランスパーソナル心理学が見ているもの
トランスパーソナル心理学は、1960年代にアメリカで生まれた、れっきとした学術分野だ。アブラハム・マズローらによってトランスパーソナル心理学会が設立され、学会誌も発刊されている。
個人の悩みの解決を目指す従来の心理学とは少し違う場所を見ていて、「トランス(超える)」「パーソナル(個人)」という名の通り、個人という枠を超えた意識の広がりを研究対象にする。その理論的な土台のひとつに、ユングの「集合的無意識」がある。
人には、個人的な経験を超えて、人類に共通して受け継がれてきた心の深層があるという考え方だ。トランスパーソナル心理学では、この集合的無意識に、個人の意識が呼吸などを通じて触れる瞬間があると考える。
実際に、ブレスワークを重ねる中で、この集合的無意識にたどり着いたと語る実践者がいる。個人的な悲しみや、家族との記憶を超えて、もっと大きな、人類に共通する何かに触れたという感覚だ。そこまで行き着く人は多くはないが、確かに存在する。
ここははっきり分けておきたい。集合的無意識という概念そのものは、ユング心理学という学術体系の中で提唱されたものであり、脳科学のように実証的に証明された事実ではない。
それでも、トランスパーソナル心理学は、占いやおまじないの延長ではなく、大学や学会の中で研究されてきた心理学の一分野であることは、きちんと伝えておきたい。
ちなみに、ユング心理学を深く研究している人の中には、タロットや占星術にも通じている人が少なくない。日本を代表する占星術研究家の鏡リュウジ氏も、日本トランスパーソナル学会の理事を務める一人だ。
ユングについて語る鏡氏の言葉は、学術的でありながらどこか詩的で、美しい。ユングという心理学者の奥行きの深さを教えてくれる存在でもある。
魂の記憶、過去世体験として語られるもの
ブレスワークの実践者の中には、深い呼吸の中で、自分の記憶にはないはずの光景や感覚に触れたと語る人がいる。それを「過去世の記憶」「魂に刻まれたもの」と表現する人もいる。
これは、脳科学的に実証された記憶のメカニズムというより、体験した本人にとってのリアリティとして語られてきた領域だ。事実として証明することも、否定することもできない。
ただ、そうした体験を経た人の多くが、その後に「何かが軽くなった」「生き方が変わった」と語っている、という現象そのものは記録されている。
呼吸で意識を変える、という古くからの知恵
呼吸を使って意識の状態を変えるという発想自体は、決して新しいものではない。世界各地のシャーマニズムの伝統では、太鼓の一定のリズムと激しい呼吸によって深いトランス状態に入り、肉体を離れて霊的な世界を旅するという儀礼が、古くから行われてきた。
その伝統の中では、魂が体を離れ、他の世界を訪れて、必要なものを持ち帰るのだと語られてきた。ホロトロピック・ブレスワークがネイティブアメリカンの呼吸儀礼を参考にしているのも、この系譜とつながっている。
一方、仏教の瞑想には「数息観(すそくかん)」と呼ばれる、呼吸をひとつ、ふたつと数えながら心を静めていく古典的な方法がある。
ホロトロピックのように呼吸を激しくするのではなく、むしろ呼吸を数えることで雑念を手放し、静かに内側に沈んでいく。方向は正反対のようでいて、どちらも「呼吸を入り口にして、日常の意識の外側に出る」という点では同じ地平に立っている。
激しく呼吸を揺さぶって扉を開けるか、静かに呼吸を数えて扉に近づいていくか。人類は、方法は違えど、呼吸によって意識の深いところへ降りていく術を、昔からいくつも持っていたということだ。
深い安心の中でしか、開かない扉がある
前回のヌミノース(自我を超えた何かに触れる感覚)は、神社のような静かな場所で、向こうからやってくるものとして語られることが多い。呼吸のワークで起きることは、それとは少し違う。自分から、意図的に、その扉に手をかけにいく行為だ。
ただし共通しているのは、どちらも「深く安心できる場」がなければ起こらないということだ。ブレスワークが安全に機能するのは、音楽と、声による誘導と、見守ってくれる人がいて、その場にいていいという確信があるからだ。安心という土台があって初めて、体は防御をゆるめ、深いところにあるものを差し出す。

三分野を重ねると見えてくること
脳科学は、涙を「深く速い呼吸によって作り出された変化が、感情の出口をこじ開ける生理反応」として説明する。
心理学は、涙を「抑え込まれてきた感情や、言葉になる前の体の記憶が、安全な場で出てこられる瞬間」として説明する。
トランスパーソナル心理学・スピリチュアルは、涙を「個人という枠を超えた、より深い意識の層に触れた体験」として語る。
前回見えてきたのは、安心が涙の「条件」になるということだった。今回見えてくるのは、その条件を、待つのではなく、呼吸によって自分から作り出せる場合がある、ということだ。
呼吸を変えるだけで、なぜ涙があふれるのか。それは、日常では閉じたままの扉に、思考よりも先に手が届いてしまうからなのかもしれない。
このワークを、私は何度も一人でやってきた。毎回、大泣きする。理由は、いつもちゃんとわかっている。
「パン」と場面が変わった瞬間、一瞬「あれ、私、今どこに来たんだろう」と思うこともある。特に、集合的無意識と呼べるような場所に行った時は。それでも、なぜそこにいるのか、なぜ向き合わなきゃいけないのかは、ちゃんとわかる。
叫びながら泣いていても、その最中に、自分をちゃんと観察しているもう一つの目がある。どっぷりその場面に入り込みながら、同時に、それを外から見ている自分もいる。理由が明確にわかっているからこそ、これはちゃんとセラピーになっている。
呼吸だけで、そこまで変わるのかと、自分でも思う。けれど、体は、頭で理解するよりずっと先に、答えを知っているのだと思う。
トランスパーソナル心理学に出会ったのは、もう20年以上前になる。運命というものも扱いながら、自己実現を目指していく心理学だと知った時、自分の中で何かが腑に落ちた。
それ以来、物事をそういう意識で捉えながら生きてきた。学問として出会ったこの視点が、今の私をずっと支えてくれている。
ここからは、研究ではなく、私自身の考えです。
私は、涙を出せることは、弱さではなく、感情が豊かだという証だと思っている。呼吸ひとつで涙があふれるのは、それだけ豊かな感情を、普段は抱えて生きているということだ。
感じることは、人間の特権だと思う。感覚を手放していく修行の道もあるかもしれないけれど、私は、その感覚を大切にしながら生きていきたい。
豊かな感情を持ちながら、それでも重く生きるのではなく、軽やかに生きていく。このワークは、そのために役立つと思っている。そして、愛を伝えることが、私の使命だと信じている。
前回の記事では、安心すると涙が出る理由を、同じように三つの視点から見てきた。あわせて読むと、涙という現象がより立体的に見えてくるはずだ。📖 前回の記事「安心すると、なぜ涙が出るのか」はこちら
同じように、繰り返し同じ感情のパターンに苦しんでいる時には、誰かとの間にできた見えないつながりが関わっていることがある。ai美はそれを「コード」と呼んで、これまでいくつかの記事で扱ってきた。📖「コードという名の鎖」シリーズはこちらから
同じ感情が表れて苦しい。 呼吸をしても、涙が止まらなくなる。 その苦しさの正体は、コードかもしれません。
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あなたの魂は、最初から美しい。ai美はそれを知っています。