頑張ること自体は、悪くない。
苦しくなるのは、その頑張りが「どこから来ているか」の問題である。
頑張りを増やす前に、邪魔しているものを外すと、積み重ねてきた力は軽やかに表へ出てくる。

夜の台所で、冷めたお茶を前に椅子に座る女性

「もう少しだけ、頑張ろう」

夜の十一時。台所の白い灯りの下で、冷めたお茶をひと口飲む。湯のみの底が、指先にひやりと触れる。明日の準備は、もう終わっている。それなのに、体は椅子から立ち上がらない。

頭の中では、声がする。
「みんなやっているんだから」
「ここで休んだら、置いていかれる」

あなたにも、こんな夜はないだろうか。

私自身、「肩の力を抜いて」と言われても、頑張ることをやめなかった一人である。

頑張ることは、いいこと。子どもの頃から、私たちはそう教わってきた。しかし、頑張れば頑張るほど、苦しくなる。そんなとき、人は迷う。頑張ることは、本当にいいことなのか。それとも、もうやめた方がいいのか。

同じ「頑張る」でも、内側から湧いてくる頑張りと、何かに追い立てられる頑張りがある。前者は人を生き生きとさせる。一方で、後者は人を静かにすり減らす。頑張りすぎて疲れてしまうのは、多くの場合、後者である。

この違いを、この記事では「努力」と「力み」の違いと呼ぶ。

先に見分けたい人へ

  • 誰にも見られていなくても、この頑張りを続けるだろうか。
  • 休んだとき、ほっとするだろうか。それとも、罪悪感がわくだろうか。
  • 終わったあと、満たされているだろうか。それとも、空っぽだろうか。

後者の答えが多いなら、あなたに足りないのは、頑張りではない。なぜそう言えるのかを、ここから三つの視点で見ていく。

脳科学から見た「頑張る」

頑張ると、脳は疲れる。多くの人が、そう実感しているだろう。しかし、脳科学の研究は、もう少し複雑な姿を見せている。

脳には、頑張りを支える仕組みがある

ドーパミンは、「快楽の物質」と呼ばれることがある。しかし、神経科学者のジョン・サラモンらの研究では、ドーパミンが快楽そのものよりも、「努力してでも手に入れようとする意欲」に深く関わることが示されている。

動物実験では、ドーパミンの働きを弱めると、努力の要るごちそうより、手軽に食べられる餌を選ぶようになった。好みが変わったのではない。努力する意欲が下がったのである。

つまり、脳にとって頑張ることは、ただの消耗ではない。脳には、目標に向かって頑張ることを後押しする仕組みが、もともと備わっている。

追い立てられる頑張りは、考える脳を鈍らせる

一方で、緊張と不安の中で頑張り続けると、話は変わる。

強いストレスがかかると、体はコルチゾールなどのストレスホルモンを出す。そして、イェール大学のエイミー・アーンステンの研究では、強いストレスの下で、判断や計画をつかさどる前頭前野の働きが落ちやすいことが示されている。

頑張っているのに、はかどらない。簡単なミスが増える。そんなとき、あなたの意志が弱いわけではない。脳が「守り」の状態に切り替わっているのである。

脳科学から見た答え

同じ量の頑張りでも、脳の中で起きていることは違う。目標に向かう頑張りは、脳の意欲の仕組みに支えられる。しかし、恐れから来る頑張りは、脳を消耗させる。

心理学から見た「頑張る」

自分で選んだ頑張り、選ばされた頑張り

心理学者のエドワード・デシとリチャード・ライアンは、「自己決定理論」を提唱した。この理論では、同じ行動でも、動機の質によって心への影響が変わると考える。

「好きだから」「大切だと思うから」。このような自分から湧く動機で動くとき、人は満たされやすい。反対に、「叱られたくない」「認められないと不安」という動機で動くとき、同じ成果を出しても、心はすり減りやすい。このことは、多くの研究で確かめられてきた。

中でも見落とされやすいのが、「取り入れ的調整」と呼ばれる動機である。外から言われた言葉を、いつの間にか自分の声として取り込んでしまう。たとえば、「頑張らない私には、価値がない」。この感覚は、その代表である。

「〜すべき」という声

精神分析家のカレン・ホーナイは、人を内側から縛る「〜すべき」を、「べき」の専制と呼んだ。

もっと頑張るべき。弱音を吐くべきではない。人に迷惑をかけるべきではない。

この声が強い人ほど、休むことに罪悪感を覚える。そして、休めない自分を、また責めてしまう。

燃え尽きは、怠けていた人に起こるものではない

「燃え尽き症候群(バーンアウト)」という言葉は、1974年に発表されたハーバート・フロイデンバーガーの論文によって広まった。その後、社会心理学者のクリスティーナ・マスラックらが、研究を深めている。

燃え尽きは、怠けていた人だけに起こるものではない。仕事の負荷、裁量の少なさ、支えの乏しさなどが重なったとき、人は消耗していく。そして、責任感が強く、人のために動き続ける人ほど、無理を抱え込みやすい。

また、組織の中では、頑張るほど浮いてしまうことがある。周りに合わせるために、あえて力を抜く。そうして、頑張ることそのものに虚しさを感じている人も、少なくないのではないだろうか。

積み重ねは、やはり力になる

一方で、心理学は「量」の力も示している。心理学者のアンダース・エリクソンらは、1993年、音楽学校のバイオリン専攻の学生を調べた。

その結果、特に優れた学生たちは、20歳までに1万時間を超える練習を積んでいた。この研究は、のちに「1万時間の法則」として広まった。

しかし、エリクソン自身が重視したのは、時間の長さだけではない。目的を持ち、課題を絞って取り組む「意図的な練習」である。そして、その後の研究では、練習量だけで上達の差がすべて説明できるわけではないことも分かっている。

つまり、心理学から見ても、頑張りそのものは否定されていない。

心理学から見た答え

問題は、「頑張ること」ではない。「頑張らなければ、自分には価値がない」という前提である。その前提の上で頑張るほど、人は苦しくなる。

スピリチュアルから見た「頑張る」

ここからは、科学的に実証された知見ではなく、スピリチュアルな見方の話である。

「頑張らなくていい」は、どこから来たのか

スピリチュアルの世界では、「頑張らなくていい」「頑張っちゃいけない」という言葉をよく耳にする。YouTubeなどでは、多くの発信者が、それを自分の考えとして語っている。

しかし、どの考えにも、元になった教えがあるはずだ。そして、その出どころをたどると、「何もしなくていい」という意味ではないことが分かる。

たとえば、バシャールの「ワクワク」は、ワクワクすることにできる限り行動で応え、結果への期待を手放すという考え方である。また、引き寄せの法則で知られるエイブラハムは、川の上流に向かって必死にオールを漕ぐ力みを「抵抗」と呼ぶ。

日本では、小林正観さんの「がんばらない」がよく知られている。しかし、小林さん自身は、努力を否定しているわけではないと語っている。頑張ることで解決できる問題も、確かにある。

けれども、自分の頑張りだけではどうしても解決できない問題もある。そのときは、謙虚になるしかない。これが、小林さんの言う「がんばらない」であった。

どの教えも、「動くな」とは言っていない。ai美の言葉で言えば、「流れに逆らって力むな」ということである。

頑張りが、ノイズの上に積み重なるとき

ここからは、ai美がチャネリングとノイズクリアの中で見てきたことである。潜在意識には、過去の経験から生まれた「ノイズ」が残っていることがある。

「認められなければ、ここにいてはいけない」「弱さを見せたら、見捨てられる」。こうしたノイズがあると、人は本来の力を出す前に、まずノイズを押さえ込むために力を使う。

筆を強く握りしめたまま線を引くと、線は硬くなり、途中でかすれる。しかし、力を抜いた手は、のびやかな線を最後まで引ける。

追い立てられる頑張りとは、筆を握りしめたまま描き続けている状態に近い。

足すのではなく、外す

そのため、ai美のノイズクリアは、力を「足す」ことをしない。邪魔しているものを「外す」。それだけである。

ノイズが外れても、人は頑張るのをやめるわけではない。力みが抜けたまま、自然に動けるようになるのである。

スピリチュアルから見た答え

本来の力は、すでにあなたの中にある。頑張りで上塗りしなくても、ノイズが外れれば、その力は自然に表へ出てくる。

三分野を重ねると見えてくること

脳科学は、恐れから来る頑張りが、考える力を鈍らせることを示した。心理学は、「頑張らなければ価値がない」という前提が、人をすり減らすことを示した。そして、スピリチュアルの視点では、その前提こそが潜在意識のノイズである。

三つの視点は、同じことを証明しているわけではない。しかし、どの視点も「何もしなくていい」とは言っていない。そして、三つを重ねると、問いが変わる。「頑張るか、やめるか」ではなく、「この頑張りは、どこから来ているのか」である。

ここで、冒頭の三つの問いに戻ってみてほしい。あの問いは、どれも「どれだけ頑張っているか」ではなく、「その頑張りがどこから来ているか」を見るためのものである。


ここからは、研究ではなく、私自身の考えである。

頑張ることは、当たり前だった

頑張るということは、世代によっても違うと思う。私は昭和の世代である。高度成長期、頑張るのは当たり前だった。頑張らなければ、生きていけない。そのくらいの理念であり、常識だった。

私は、頑張るのが好きだ。頑張るのが当たり前だと思って育てられた。みんなそうだと思うが、頑張ることを美徳として育ったのである。

「肩の力を抜いて」と言われた日

20代の頃、私はよく「肩の力を抜いて」と言われた。教員だった私にそう言ったのは、地域の指導教官である。

美術室で、生徒の作品を並べる教員時代の女性

こちらは、頑張って一生懸命やっている。それなのに、冷や水を浴びせられたような気持ちだった。具体的なことは、何も言われない。

ただ「肩の力」と言われただけである。なぜそんなことを言われるのか、不服だった。そもそも、自分の肩に力が入っていることに、まったく気がついていなかったのである。

確かに、私の同級生は、肩の力が抜けていた。しかし、私は頑張りたかった。自分の成長のためでもある。けれども、やはり子どもたちのために頑張りたかったのだ。

子どもたちに、いい授業を提供したかった。そのために、いろいろと研究もする。それを「肩の力が入っている」の一言で片づけられては、困る。

肩の力は、入っていたかもしれない。しかし、頑張り続けてよかったと思う。子どもたちの力を、より引き出せるようになった。私の教えた子どもたちは、みんな、いい結果を残した。

そして、頑張る人がいると、困る人もいる。自分も頑張らなければいけないと思うのが、嫌なのだろう。そのため、頑張る人の足を、一生懸命に引っ張る。「みんな頑張らないで、それなりのところでやろうよ」と。

力の抜けた人への憧れ

肩に力が入っているとは、どういうことか。それは、肩の力が入っていない人を見て、よく分かった。

肩の力が抜けていても、結果が出ていない人なら、何とも思わない。しかし、肩の力が抜けていて、成果を出している人は、かっこいい。私も、ああいう人になりたいと思った。

YouTubeでも、よく見かける。スマートで、よく仕事ができる人。肩の力が抜けていて、言葉にも圧がなく、サラサラしている。そういうタイプに、私は憧れる。

しかし、元が違う。だから、やはり私は「頑張らなきゃ」と思ってしまうのである。

成長したいという欲求

私にとって、努力することは当たり前だった。なんなら、自分で自分を追い込まなければ、他人に追い込まれる。

それは、人としての成長の欲求である。私は、成長の欲求が強かった。「より勉強ができるようになりたい」「仕事ができるようになりたい」「人として成長したい」。この欲求が、強かったのである。

一方で、スピリチュアルの文脈では、「頑張らない方がいい」という言葉をよく耳にする。そのときは、確かにそうだと思う。頑張るのが当たり前だった世代の私には、「頑張っちゃいけない」という言葉は、新鮮でもあった。

ピアノが教えてくれたこと

私は、よくピアノを弾く。しかし、家にピアノはない。練習室を借りて弾いている。

練習室でピアノを弾く女性

そして、ピアノにも同じことを求めた。仕事があるので、普段はなかなか練習ができない。だから、効率を求めた。ただ頑張るのではなく、効率の良い練習をいかにできるか。

普通ならば1時間の練習量での成長を、倍の効率で、3倍の効率で、いや5倍の効率で練習し、それだけの成長ができるか。そのことに、私は大きく意識を使い、意図を持っていた。

ロシア人のバレエの先生から、こんな話を聞いたこともある。先生は、ほかの分野の勉強もしていた。数百時間ほどかければ、大体のものは身につくと言われている。その考えのもとに、自分は勉強しているのだと。

その説にも、一理ある。スピーディーに身につけるための、ひとつの目安である。

しかし、結局のところ、練習量にはかなわない。それが、私の実感である。

コンクールの録音の締め切り日、最終日のことである。私は会社を休んだ。そして、練習室を3か所、電車で移動しながら弾き続けた。練習は、7時間。

できなかった箇所が、いくつかあった。それが、一気にできるようになったのである。暗譜まで持っていけた。録音にも、間に合った。

なお、大人になってからのピアノの始め方は、「大人のピアノの時間」にまとめている。

肩の力が抜ける、ということ

潜在意識の不要な意識の削除(ノイズクリア)を続けていくうちに、分かってきたことがある。肩の力が抜けるとは、こういうことか、と。

私が関わってきた中で、もともと潜在意識の中がすっきりとしている人は、ミスがとても少ない。そして、目標や意図を掲げると、その方向に邪魔がなく、スッと進んでいく。

反対に、潜在意識の中がぐちゃぐちゃしていると、頑張らなければいけない。頑張りが、なかなか成果につながらない。苦しい。それでも、頑張る。

これは、昔の私である。今もそうなのかもしれない。

それでも、ノイズクリアをして、課題を一つクリアする。すると、その瞬間に、肩が下りる。そして、視界がクリアになる。

一番変わったのは、文字だった。小さい頃、私は母からお習字を習った。その文字が、クリアリングを続けるうちに、きれいになったのである。

まず、力を抜いて、スッと書けるようになった。力を入れるところと、抜くところができた。そして、変な癖がなくなり、バランスのいい文字になった。余計なものが、抜けたのだ。

力が抜けているので、見やすい。「うまく書こう」「うまく書かなきゃ」という気持ちも、もうない。

そして、足を引っ張られるという感覚も、少なくなった。笑ってしまうほどだ。

私自身も、先生を辞めた。いや、辞めたというよりも、先生を卒業した。そんな感覚である。

頑張りで越えられるもの、頑張りでは外れないもの

だから、私は「頑張らなくていい」とは言わない。成長には、積み重ねが要る。

しかし、頑張ってもやめられないものも、あった。占い電話である。

本当はやめたい。今度こそやめる。そう決めたのに、また頼ってしまう。電話を切ったあとには、自己嫌悪が来た。「またやってしまった」。私は、意志が弱いからだと思い、自分を責め続けていた。

そして、やめられたとき、私は頑張っていなかった。

気合いで断ち切ったわけでも、我慢でねじ伏せたわけでもない。深いところが変わっていったら、戻るスキがなくなっていた。ある日ふと、占い電話のことを考えていない自分に気づいたのである。

積み重ねが力になる頑張りがある。一方で、ノイズの上で力むほど、苦しくなる頑張りもある。

今の私は、自分の評価を上げるためではなく、クライアントのために頑張りたい。

頑張ることは、いいことだ。あなたがここまで頑張ってきたことも、本物である。そして、もし頑張るほど苦しいのなら、それはあなたが弱いからではない。むしろ、責任感が強く、感受性が高いからである。

頑張りを増やす前に、邪魔しているものを外す。そうすれば、積み重ねてきた力が、もっと軽やかに表へ出てくる。

川沿いの道を軽やかに歩く女性

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