コードという名の鎖 第5話|猫が教えてくれた、孤独とコードの話
「僕のうちに来ていいですよ。猫がいるんです。」
「猫?」
「黒い子です。白がちょっと混じってる。」
言葉少ない彼が、自分から誘った。
親子ほど年が離れた男の子が、自分から。
そして美沙は惚れた。彼の男気に。
声をしまい込んだ職場
その頃、美沙は声をしまい込んでいた。
建設コンサルの事務所に派遣で入って、何ヶ月になるだろう。みんな忙しそうだった。
そしてお局がいた。
全てをコントロールしなければならないと思っている女性だ。高圧的に、あるいは陰口によって、じわじわと心理的に圧迫してくる。声を荒げるわけじゃない。でも確実に、空気を支配していた。
元気なエネルギーはひとかけらも、求められていないようだった。
美沙は本来、オープンな人間だ。笑うのも、話すのも、好きなのに。ここでは声を出せなかった。
鬱を演じているのか、そうなりかけているのか。それも慣れて、自分自身に取り込んでしまっていた。声の出し方も、忘れてしまった気がする。
春、彼が来た
こんな職場でも、春になると少し活気づく。
オフィスから見える川沿いの桜並木と共に、部署異動で5、6人が入ってくる。年齢は様々だが、その年は全員20代の男の子だった。
その中の一人が、中野慎吾だった。
スラっと細い。顔もすっきりしている。いつもまっすぐ前を向いていた。周りがうつむいたり、スマホを見たりしている中で、彼だけが前を向いていた。
美沙は最初、構わなかった。どうせ彼女がいる。自分とは違う星の人。そう思っていた。
氷みたいなファイル
でも、ファイルが教えてくれた。
彼が作ったファイルを手に取った瞬間、わかった。
氷みたいだ、と思った。
頭が痛い日に額に当てる、あの氷。冷たいんじゃない。すっと楽になる、あの感じ。透明で、つるつるして、光を通す。余分なものが、何もない。
美沙は頭痛持ちだ。だから氷が救いだと知っている。
雑な人のファイルは違う。手に取った瞬間に重さが来る。いろんなものが混じりすぎて、濁っていて、気持ちが悪い。エンパスには、それがそのまま流れ込んでくるのだ。
でも彼のファイルは、透明だった。氷みたいに、澄んでいた。
言葉より先に動く
美沙は彼の一歩後に控えながら、一歩前に出て仕事をしていた。
彼が何を必要としているか、言葉になる前にわかる。出張から帰ってきたら、その時々で何が必要かが直感でわかる。それだけ彼の頭が澄んでいて、美沙が彼のフィールドに入りやすかったのだ。だから、彼が他人には見せない繊細さと、自分自身の守り方もわかった。来客時のお茶を出す絶妙なタイミングも、踏み込んだほうがいいタイミングも、距離を置くべきタイミングも。
彼の心も、澄んでいたのだ。
彼は自分の仕事を、美沙に渡してくれた。任せられるものは任せる、というやり方で。暇を持て余していた美沙に、やりがいというものをくれた。彼はそれを当然のことのように受け取っていた。特別すごいとも、思っていなかっただろう。それでよかった。美沙も出しゃばらなかった。
行動で守った
ある日、陰険な上司が動いた。
美沙のミスを執拗に責め、辞めさせようとしていた。
そこで慎吾が言った。「必要です。」
たった一言だ。余計なことは何も言わなかった。ただ、必要だと言った。
さらに上司が美沙に近づこうとして飲み会が設定されたようだ。しかし、彼が機転を利かせ、上司を省いた飲み会が設定されていた。
言葉じゃなくて、行動で守った。
親子ほど年が離れた男の子に、守られた。
ノイズクリアが生んだ時間
この頃の美沙は、自分なりにノイズクリアをやっていた。誰に教えてもらったわけでもない。だから、自信はなかった。それでも、毎日やっていた。
慎吾といる時、クリアでいられた。それは慎吾が澄んでいたから。そして、美沙自身が、毎日少しずつクリアになっていたからだ。だから、あの時間が生まれた。
お蕎麦屋さんの午後
休日、ショッピングモールに行った。
秋の午後だった。家族連れとカップルで賑わっていた。子どもの笑い声が響いていた。揚げたての匂いがどこかからしてくる。ふたりもその中にいた。
慎吾が必要なものを見て回るのに、ただ付き合った。何かを買ってほしいとか、そういうことは何もなかった。
お互いに味の好みと胃袋も一緒だから、何も言わなくてもお蕎麦屋さんに入った。向かい合って座る。蕎麦をすする音だけが、ふたりの間にあった。
ほとんどしゃべらなかった。それでも、幸せだった。彼の純粋な心がわかっているし、互いに満たされているのがわかっているから。
慎吾はきっちり計画してお金を使う人だった。安物は買わない。期限が近いものも買わない。無駄を出さない。占い電話にお金を使い続けてきた美沙は、それをただ、隣で見ていた。
くしゃくしゃ
慎吾の部屋に行くのは、いつものことになっていた。
テレビでお笑いをやっていた。ふたりで並んで見ていた。笑った。また笑った。笑うたびに、美沙は手を伸ばして、慎吾の頭をくしゃくしゃとかき混ぜた。笑うと目が細くなって、消えそうになる。するとまたふたりで笑った。
言葉はいらない。説明もいらない。ただそこにいるだけで、笑えた。
ミイちゃんがいる部屋
その部屋に、ミイちゃんがいた。
名前のない猫だった。黒いベースに、白がちらっと混じっている。美沙が勝手にミイちゃんと呼んだら、慎吾もミイにした。
気高い猫だ。自分からは擦り寄ってこない。賢い目をしていた。
猫は宇宙から来た生き物だと、美沙は思っている。だからミイちゃんが全部知っていても、不思議じゃなかった。
台所で慎吾のためにご飯を作っていると、ミイちゃんがふっと来て、美沙の顔を覗き込んだ。黒い瞳が、じっとこちらを見ていた。
「美沙が一人で台所で食事を作っているのに、飼い主はなぜテレビを見ているの?美沙それでいいの?僕は美沙といつも一緒にいたいのに。美沙が心配。」そう言っているような気がした。
慎吾とテレビを見てだらっとしている時は来なかった。美沙が一人で何かしている時だけ、そばにいた。
本当は構ってほしいのに、そういうタイプじゃない。
ミイちゃんは、飼い主より美沙のそばにいた。ベタベタしたわけじゃない。ただ、いた。

ミイちゃんの言葉
夜はいつもそうだった。ふっと目が覚めると、ミイちゃんが美沙のそばにいる。
こんな言葉が聞こえた気がした。少なくとも、ミイちゃんの目はそう言っていた。
「美沙の光はきれいなんだ。きれいに澄んでやわらかい。心地がいい。美沙の孤独も知っているよ。美沙の純粋な愛もわかっている。飼い主以上にね。美沙の特別な使命も。美沙はわかっていないようだけど。」
美沙はしばらく、ミイちゃんの目を見ていた。否定しなかった。不思議と、そうだと思った。
そっと、なでた。
ミイちゃんは目を細めて、一緒に寝た。
コードって、人間だけじゃない
その数ヶ月、美沙は占い電話をしなかった。
する必要がなかった。幸せだった。それだけで、充分だった。
でも終わった。
周りが心配して、終わらせた。本当に好きだったから、悲しかった。それでもしょうがないと思った。慎吾は若い。赤ちゃんを産める若い女の子が必要だと思った。
別れ方が、わかる年齢になっていた。心の終わらせ方が、わかる年齢に。
だから慎吾のことは、終わらせた。案外早く仕舞えた。
慎吾とのお別れは辛かった。しかし、人生の中で慎吾と交差できたことは、幸せだった。
何故か、別れる時、慎吾は言った。
「電話は、していいですよ。僕に。」
その言葉の意味を、慎吾は知らない。
美沙にとって「電話をする」ということが、何を意味するのかを。
しばらく、電話した。何事もなかったかのように、楽しくおしゃべりした。何回かあった。
しかしある日、電話口でもう一度、お別れを切り出してきた。美沙は素直に受け入れた。
すると電話の向こうで、慎吾が泣いていた。
「ごめんなさい。」
その言葉は、美沙の胸のどこかに、静かに落ちた。
それからしばらくして、美沙は占い電話にかけてみた。
「今日は何もないんです。多分、寂しいんだと思います。」
向こうは笑った。知ってるわよ、というように。
本当のことだった。ただ、寂しかった。それだけだった。
今でも、ミイちゃんのことを思い出す。
慎吾のことよりも、ミイちゃんのことを。
きっとミイちゃんも、思い出してくれているはずだ。ふっと思い出す時、お互いに同じ瞬間に思い出しているのかもしれない。
コードって、人間だけじゃない。
ミイちゃんとのコードは、今もここにある。
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