「今、話してるこの感情、本当に私の感情?」そう自分に聞いたことが、何度あるだろう。

気づかないうちに、私は誰かになっている

不満を抱えている人と一緒にいると、私は不満を言っている。相手は、私が不満を言っていると思っているんだろうけど、違う。私はただ、相手の不満を拾ってしまっているだけ。

気性が激しい人といると、私も激しくなる。称賛や感謝を期待している人といると、大げさなくらい称賛や感謝の言葉が出てくる(褒めるのは元々好きだけど、それとは少し違う)。

明るい人といると明るい。スマートに仕事をする人と組むと、私もスマートになる。逆に、そうじゃない人と組むと、私もそうじゃなくなる。

隣に腰が痛い人がいると、私も腰が痛くなる。無意識。気づいた時にはもう、その人になっている。

「自分軸がない」と言われたこともある。でも、私は相手を見極め、必要に応じて距離感を調整し、心の開け閉めをしている。

コードに気づいたら、まず切る。その後、必要なつながりなのかを見極める。それを、周りは嫌がる。

合わせないと「感じの悪い女」だと言われるし、合わせすぎると自分が壊れる。このジレンマの正体は何なのか、脳科学・心理学・スピリチュアルの3つの視点から考えてみたい。

(感じすぎる力そのものについては、こちらでも書いている→「エンパスは才能なのか?脳科学・ユング心理学・仏教から読み解く『感じすぎる力』」)

夕日の光が映る、紫色の水面に広がる波紋

なぜ、こんなことが起きるのか

脳科学から

まず「感情伝染」。人は他者の表情や声、姿勢を見聞きしただけで、無意識のうちに自分の感情もそれに近づいてしまうことがある、と考えられている。明るい人といると明るくなる、激しい人といると激しくなる——これは、この感情伝染に近い現象かもしれない。

次に「痛みへの共感」。他者が痛がっているのを見ると、自分は痛みを受けていないのに、脳の中では自分が痛みを感じている時と一部重なる部位——前部島皮質・前部帯状皮質——が活動することが報告されている。

ただし、重なるのは主に「痛みの不快さ」という情動的な側面であり、体のどこがどう痛むかという感覚そのものが再現されるわけではない、ということも分かっている。

だから、隣にいる人の腰痛が自分の腰に現れるという体験まで、この研究がそのまま説明してくれるわけではない。それでも、「誰かの痛みが、自分の中で何かを動かす」という土台の部分は、この神経のしくみと重なっている。

そしてもう一つ、「自己他者区別(Self-Other Distinction)」という研究がある。

誰かに共感するには、相手の感情を自分の中で共有する働きと、それでも「これは相手の感情であって、自分の感情ではない」と区別する働き、その両方が必要だと考えられている。この区別が保ちにくい場合、他者への共感が、自分自身の強い苦痛へ傾く可能性がある、と論じられている。

私の感覚では、それは「相手のものが流れ込んでくる」に近い。

心理学から

家族療法家マレー・ボウエンは、「自己分化(Differentiation of Self)」という考え方を示した。

これは、相手とつながりながらも、自分の感情や判断を保つ力のことだ。「相手を見極め、必要に応じて距離感を調整し、心の開け閉めをする」——まさにこれに近い。

精神分析家ウィニコットは、「本当の自己」と「偽りの自己」という概念を示した。ただし、周りに合わせる社会的な顔を持つことと、本当の自己を失うことは、同じではない。

合わせながらも、その奥に「ここから先は渡さない」という感覚が残っているなら、本当の自己は消えていない。

心理学者ハートマンは、「境界の薄さ(Thin Boundaries)」という性格の見方を提案した。感情・感覚・人間関係など、心のさまざまな領域の境界が透過的な人がいる、という考え方だ。

境界が薄いことは、弱さではなく、一つの気質として捉えられる。エンパスとまったく同じ概念ではないが、重なる部分を持つ考え方として参考になる。

スピリチュアルから

仏教には「自灯明(じとうみょう)」という言葉がある。ブッダが最期に弟子たちへ残した、「自分を灯りとし、自分を拠り所として生きなさい」という教えだ。この「灯り」という言葉は、元のパーリ語では「島」とも訳される。

大きな川の激しい流れの中に、ぽつんと浮かぶ小さな島。あるいは、暗闇の中でひとつだけ灯る、小さな灯り。

川の流れとは、誰かの不満、誰かの痛み、誰かの気性——外から絶え間なく流れ込んでくるものだ。その流れを止めることはできない。でも、その流れの真ん中に、沈まず、流されず、そこに在り続ける場所がある。

これは科学で実証された知見ではなく、思想としての教えだ。

一方で、私はこの感覚を、「コード」という言葉で説明してきた。人と人の間にできる、見えないつながり。

心を開くことでつながりが強くなり、必要に応じて閉じたり、扱い直したりできる。科学的に証明されたものではないけれど、私自身が体験として説明する時に、一番しっくりくる言葉だ。

「特殊」の奥にあったもの

私はずっと、「私はエンパスだから特殊なんだ」と思っていた。人一倍、相手を拾ってしまう。だから仕方ない、と。

でも、これは気づきというより、積み重ねてきたことだ。散々な思いをして、身につけたこと。

「私は相手を見極め、必要に応じて距離感を調整し、心の開け閉めをしている。」自分軸がない、わけじゃない。一見、自分軸がないように見えるだけだ。

自分軸とは、他人の影響を一切受けないことではない。影響を受けたあと、それが自分のものか相手のものかを見極め、どこまで通すかを自分で決める力のことだ。

それを「コミュニケーションを取らない、感じの悪い女」だと言われたこともある。孤立していると、上司に言われたこともある。私が距離を取ると、相手には「上から目線で、感じが悪い」と映ることもあると思う。それでも、そこまで合わせたくない。

自分軸は、壁ではないのかもしれない。壁は、一度作ったら固定される。でも私がしてきたのは、相手によって、状況によって、開けたり締めたりできる境界を持つことだった。

閉じているのは、何も渡したくないからではない。むしろ逆だ。ただ、完璧に自分の中に入ってきた人には、凄まじいものを渡す。私を傷つけない人だけが、そこに入れる。

私の愛の世界観。私のエネルギー。私の愛の世界観に入れた人は、きっと幸せなんじゃないかと思う。

流されることはあった。それでも、流れの中に浮かぶ自分という島を、完全には沈めなかった。

これは、エンパスだけの話ではない。誰の中にも、「合わせてしまう自分」と「渡さない自分」が同時にある。ただ、エンパスという気質を持つ人は、その両方を、人一倍はっきりと感じ取ってしまうのかもしれない。

水平線に沈む夕日と、紫色に染まる空と海

今日からできること

身体でできること

誰かと話した後、一人になったら、深呼吸を3回だけしてみてほしい。息を吐ききる時に、「今日拾ったもの」も一緒に吐き出すようなイメージで。呼吸は、自分の感情に戻るための、一番手軽な入り口になる。

手のひらを胸に当てて、「これは私の感情か、相手の感情か」と一度確認してみる。答えがすぐに出なくてもいい。問いかけることが、自分と相手を区別するきっかけになる。

肩・首・腰などに違和感が出たら、まず自分の疲労や体調を確認する。そのうえで、誰かと一緒にいた時だけ現れ、離れると変化するなら、「拾ったものかもしれない」という見方も加えてみる。

心(心理)でできること

会話の後に、「私は誰かになっていた瞬間があったか」を振り返ってみる。責めるためではなく、ただ確認するために。振り返る習慣ができると、無意識だったものが、少しずつ意識できるものに変わっていく。

「合わせている自分」に気づいても、責めないでほしい。「今、拾ってるな」とただ観察するだけでいい。観察は、コントロールの第一歩。責めることは、その手前で立ち止まらせてしまう。

「この人とはここまで」を、声に出さなくていいから、自分の中でだけ決めておく。相手に宣言する必要はない。自分が知っているだけで、境界は保たれる。

断る・距離を取ることを、「感じが悪い」ではなく「境界線」と呼び直してみる。言葉を変えるだけで、同じ行動が、自分を守る行為として意味を持ち直す。

スピリチュアル(エネルギー)でできること

誰かの感情を強く受け取ったと感じたら、心の中で「私は、私の島に戻る」と唱えてみる。呪文のようなものだけれど、繰り返すうちに、本当に自分の輪郭が戻ってくる感覚が育っていく。

一日の終わりに、自分だけの小さな灯り(キャンドル、間接照明など)を灯し、「自分の灯りを消さずにいられたか」を振り返ってみる。灯りを見つめる数分だけでも、その日一日、誰かに明け渡していたものを、そっと自分の元に戻す時間になる。

一人になった時間に、誰の影響も受けていない「素の状態」がどんな感じか、少し味わってみる。何も感じなくても構わない。「これが本来の私かもしれない」という感覚に、時々でいいから触れておく。それが、島の輪郭を思い出すための、一番静かな練習になる。

夕日にきらめく、紫色の波の水面

三分野を重ねると見えてくること

脳科学は、「なぜ影響を受けるのか」を説明している。感情伝染も、痛みへの共感も、自己他者区別も、影響を受けること自体は自然な神経のしくみだと教えてくれる。

心理学は、「影響を受けながらも、自分を失わない方法」を説明している。ボウエンの自己分化も、ハートマンの境界の薄さも、「境界がない」ことと「境界が薄い」ことは違う、と教えてくれる。

スピリチュアルは、「なぜそれを、こんなに強く感じるのか」という体験そのものを語っている。自灯明も、コードも、目に見えない繋がりと、それでも消えない自分という存在を、同時に語っている。

三つは、まったく違う言葉を使っている。でも、どれも「境界をなくせ」とは言っていない。むしろ、つながりながら、自分を保つこと——三分野が、同じ方向を見ているように思える。

まとめ

「自分軸がない」は、弱さでも欠陥でもない。相手を強く感じ取れるからこそ起きる現象であり、同時に、その中でどこまで心を開くかを選んできた力の証でもある。

壁を作ることでも、全部を受け入れることでもなく、開け閉めできる境界を持つこと。その力に、もう気づいている。

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