私はエンパスです。
エンパスとは、他者の感情や場の雰囲気を強く感じ取り、自分の感情との境界が分かりにくくなると自認する人を表す言葉です。医学的な診断名ではなく、HSP(高感受性)と完全に同じ概念でもありません。
私はエンパスです。ずっと、自分が他の人と何かが違うことに、違和感を持ち続けて生きてきました。
人の顔色を読む前に、もう自分が動いてしまう。誰かの感情を瞬間的に吸収して、ネガティブな場をポジティブな場に変換する役目を、勝手に引き受けてしまう。
誰かの機嫌が悪いと、理由も分からないのに自分まで沈む。それをコントロールできるようになったのは、自分でも「あ、今、引き受けてる」と分かるようになってから、最近のことです。
でも、それを人に話しても、うまく伝わりませんでした。「気にしすぎ」「考えすぎ」と言われて終わる。悩みを打ち明けられる場所も、なかなかありませんでした。
だから私は、この感覚が一体何なのか、自分で調べることにしました。脳科学、ユング心理学、仏教——分野を超えて調べていくうちに、見えてきたことがあります。
感受性には個人差がある。高感受性という特性がある。脳の反応にも違いがある。そして、それは環境によって、強みにも弱みにもなり得る。
私は、この感受性を才能だと思っています。
ただし、先にお断りしておきたいことがあります。ここから見ていく研究の多くは、正確には「エンパス」そのものではなく、「HSP/SPS(高感受性)」という、心理学で測定されている特性についてのものです。
エンパスと呼ばれる体験には、この特性と重なる部分が多くありますが、完全に同じ概念として研究されてきたわけではありません。
そのことを踏まえた上で、3つの視点で見ていきます。

①脳科学から分かること
「感じすぎる」は、脳にも表れている
心理学者エレイン・アーロンとアーサー・アーロンは1997年、感受性の高さを測るHSP尺度(27項目のHighly Sensitive Person Scale)を発表しました。信頼性、そして内容的・収束的・弁別的妥当性が示された、検証済みの尺度です。
高感受性という特性
その後の大規模研究(Lionetti et al., 2018, Translational Psychiatry誌)では、統計解析により、感受性という連続的な特性の中に、低感受性(約29%)・中感受性(約40%)・高感受性(約31%)という3つの群が見いだされました。「タンポポ」「チューリップ」「蘭」というのは、この3群を表す比喩で、悪い環境にも良い環境にも影響を受けやすい高感受性を、蘭の性質になぞらえたものです。
高感受性は弱さでも強さでもなく、環境によって振れ幅が大きい特性として位置づけられています。
微細な変化に気づく脳
SPS(感覚処理感受性)の研究では、高感受性の特徴の一つとして、刺激を深く処理し、微細な変化に気づきやすい傾向が説明されています。声のトーンのわずかな変化や、場の空気に人一倍気づきやすいのも、この傾向と関連していると考えられます。
共感しやすい脳の働き
2014年、Acevedo・Aron・Aronらの研究チームがBrain and Behavior誌に発表した研究では、18人という小規模なサンプルで、パートナーや見知らぬ人の表情写真を見せるfMRI実験を行いました。
結果、HSP尺度の得点が高い人ほど、気づき・共感に関連する一部の脳領域の活動が強いという関連が観察されています。感受性の高さは、脳の反応としても報告されている現象です。
遺伝と環境、両方が影響する
思春期の双生児2,868人を対象にした研究では、Highly Sensitive Child尺度で測定した環境感受性の個人差のうち、約47%が遺伝的要因で説明されると推定されました。
残りは、環境などそれ以外の要因によるものです。感受性には、生まれつきの要因と、環境による要因の両方が関わっていると考えられています。
こうして研究を見ていくと、私は思うんです。エンパスの特徴は、気のせいではなく、脳という物理的な場所にも、ちゃんと表れている。これは、この今の世界で使いこなすのが難しい才能なのかもしれません。
でも、使いこなしたい。それが脳にまで表れているということ。これは、特別な才能だと思っていいはずです。私たちは、もっと自信を持っていいんじゃないかと思うんです。

②ユング心理学から分かること
なぜ、人の感情が自分に入ってくるのか
境界が薄くなる「参加神秘」
「参加神秘(participation mystique)」は、もともとフランスの人類学者レヴィ=ブリュールが、未開社会の人々の思考を説明するために使った言葉です。
自分と対象(人・環境・モノ)の境目がはっきりせず、部分的に同じもの・つながったものとして体験される状態を指します。心理学者カール・ユングは、この概念を「未開の人だけの特殊な考え方」としてではなく、現代人の無意識の中にも今も残り続けている働きとして捉え直しました。
エンパスの場合は、こうなります。誰かの機嫌が悪いだけで、理由も分からず自分まで沈む。それは、自分と相手の境界が薄れて、相手の感情がそのまま自分の感情になってしまっている状態です。
ユング自身がエンパスを論じたわけではありませんが、この境界の薄れ方は、参加神秘という概念を使うと理解しやすくなります。
相手の気持ちを、先に感じてしまう「投影」
「投影(projection)」は、精神分析・分析心理学で使われる基本概念のひとつです。人は誰しも、自分の中に「認めたくない感情」や「まだ意識化できていない側面(シャドウ)」を抱えており、それを無意識のうちに他者へ映し出してしまう、という考え方です。
ユング心理学における投影は、本来「投影する側」が、自分の中の感情を無意識に相手へ映し出す働きとして説明されるものです。
ここから、私なりに考えてみます。相手はまだ、自分の苛立ちや緊張に気づいていないのかもしれない。言葉にも態度にも出していないつもりでいる。
でも感受性の高い人は、相手がまだ意識化できていないその感情を、相手より先に、体で感じ取ってしまうのではないか。「なぜかあの人といると疲れる」「言われていないのに責められている気がする」というのは、そういう状態なのかもしれないと、私は思っています。
「自分」と「相手」を分ける個性化
「個性化(individuation)」は、ユングが提唱した、人が本来の自分になっていく過程を指す概念です。意識と無意識、対立する心理的要素を統合し、自己へと近づいていく、広い意味を持つプロセスとされています。
エンパスにとって、何でも感じ取れることは、あくまで入り口にすぎません。そこから「これは相手の感情、これは自分の感情」と、無意識に引き受けてしまったものを一つひとつ仕分けていく作業こそが、個性化の一側面だと考えることができます。
なお、この一連の概念は実験で検証された心理学ではなく、分析心理学という理論・臨床の伝統の中で今も論じられている学術的な議論です。脳科学のように「fMRIで確認された」種類のものではないことは、正直にお伝えしておきます。
正直に言うと、私はユング心理学が好きで、前から興味を持って見ていました。最近YouTubeでも、ユングがエンパスについて語っていたかのような動画をよく見かけます。
それで、「あれ、本当にそんなこと言っていたんだっけ」と気になって、今回きちんと調べ直しました。
結果は、ユング自身が「エンパス」という言葉を使って語ったわけではない、ということです。でも、参加神秘や投影という概念を通して見ると、エンパスの体験が、驚くほどよく説明できる。
ユングが直接言ったことではなくても、この理論は、エンパスを理解するための、大きな手がかりになると感じています。
③仏教・スピリチュアルから分かること
この感受性は、どう生きればいいのか
直感という資質
精神科医のジュディス・オルロフは、精神科医でありながら自身もエンパスであることを公言している人物です。
従来の医学の知見と、直感・共感についての知見を統合する立場を取っており、著書「The Genius of Empathy(共感の天才)」にはダライ・ラマが序文を寄せています。日本語では「LAの人気精神科医が教える 共感力が高すぎて疲れてしまうがなくなる本」として翻訳されています。
オルロフは、エンパスが持つ資質として、直感をまず挙げています。エンパスであれば、分かるはずです。「考えて分かった」のではなく、「先に分かってしまう」感覚——理屈より先に、状況や人の本質を掴んでしまう力です。
精神科医という臨床の現場に立つ人間が、これを迷信ではなく資質として位置づけている、という点に意味があります。
もちろん、強く感じたことが、いつも相手の本心を正確に表しているとは限りません。感じ取る力と、それをどう解釈するかは、別の問題です。
創造性という才能
オルロフは、創造性もまたエンパスの資質の一つだと語ります。エンパスの中には、深く感じ取ったものを、絵や音、言葉に変えていく人もいます。すべてのエンパスに当てはまるとは限りませんが、感受性の深さが表現につながる例は少なくありません。
物事を表面だけでなく、奥行きを持って感じ取る感覚。これもオルロフが挙げるエンパスの資質の一つです。同じ出来事を経験しても、その奥にある背景・文脈・痛みまで感じ取ろうとするのは自然なことです。これは「考えすぎ」ではなく、物事を多層的に捉える力です。
思いやりと与えすぎ
エンパスは自然な思いやりを持ち、世話役・献身的な友人・伴侶になりやすいとされています。
オルロフは、エンパスは「与える人」「守る人」になりやすい一方で、その思いやりゆえに与えすぎてしまう傾向もあると指摘しています。エンパスだと感じている人の中には、思い当たる人もいるかもしれません。
精神科医という臨床の現場に立つ人間が、これを「弱さではなく資質」と言い切っている。それ自体に意味があります。
自然や動物との一体感も、オルロフがエンパスの資質として挙げているものです。感受性の高い人にとって、人間関係は消耗しやすいものです。だからこそ、自然や動物との関わりが、安心して境界を緩められる場所になっている、というのがオルロフの見立てです。

無我と縁起が教えること
仏教の「無我(むが)」は、「私」という固定的・独立的・永続的な自己実体は存在しない、という教えです。「分かれているか、分かれていないか」ではなく、「そもそも変わらない核のようなものが、私にも他人にも存在しない」という考え方です。
エンパスが、誰かの感情と自分の感情の境目が分からなくなる瞬間。それを無我と同じものだと言い切ることはできません。
ただ、自分という存在が、固定された変わらない実体ではない、という無我の考え方は、エンパスが感じているこの境界の薄さを、違う角度から考え直す手がかりにはなると思います。
仏教の「縁起」は、あらゆる事象が独立して存在するのではなく、関係性・条件の中で成り立っているという考え方です。「これ有るが故に彼有り」——自分という存在も、周囲との関わりの中で成り立っている、という見方です。
エンパスが場の空気や相手の状態に影響を受けやすいことも、この考え方と重ねて読むことができます。仏教では、自己を他者から完全に独立した固定的実体とは捉えないからです。
慈悲喜捨と境界線
「慈悲喜捨(ブラフマ・ヴィハラ、四無量心)」は、仏教の実践のひとつです。
慈(メッター=慈しみ)、悲(カルナ=苦への共感)、喜(ムディター=他者の幸福を共に喜ぶ心)、捨(ウペッカー=偏りのない平静さ)という4つを育てる実践で、自分だけに向いていた慈しみを、他者へ広げていくことを目指します。捨は感情に巻き込まれることではなく、平静さ・識別を保つことを意味します。
エンパスが日常的にやっていること——他者の苦しみに強く心が動くこと——は、慈悲の実践と重なる部分があります。
ただし、感情を引き受けて自他の区別を失うことが、仏教の目標なのではありません。慈悲は、相手の苦しみに反応しながらも、自分自身を見失わないことも含んでいます。
なお、オルロフの臨床的な立場と異なり、仏教のこれらの教えは信仰・思想の体系であり、科学的に検証された心理学ではありません。ここは体験・思想として語られてきた領域だと、正直にお伝えしておきます。
正直、仏教は、私にとってずっと遠いものだと思っていました。エンパスの話と仏教の話が、まさかこんな形でつながるとは、調べる前は想像していませんでした。
無我も縁起も、もともとは自分と何の関係もない、遠い教えだと思っていたのに、調べてみたら、自分がずっと感じてきたことと、静かに重なる部分があった。これは、私にとって一番意外な発見でした。
私がたどり着いたワンネス
うまく言葉にできないのですが、私はこう感じています。「ワンネス」という考え方があります。宇宙は、もともとひとつの源から生まれていて、そこから枝分かれして、今の「あなたと私」という分かれた形になった、という考え方です。
もしこれが本当なら、私たちは今、「自分」と「他人」が別々の、欠けた存在であるかのように感じて生きています。でも本当は、欠けているのではなく、もともと一つの完全なものから分かれてきただけなのかもしれません。
エンパスは、その分かれる前の感覚を、まだそのまま持ち続けている人たちなのかもしれない。私には、そう思えるのです。
私は昔、エンパスのセミナーに行ったことがあります。そこで驚いたのは、会場にいる人たちの純粋さでした。こんなに純粋な人がこんなに集まっているのか、と。
でも同時に、分かってしまいました。これだけ純粋だと、やられてしまう。周りに利用されたり、消耗させられたりするのは当然だ、と。エンパスじゃない人から見れば、きっと「不思議ちゃん」に見えるのだと思います。
結論:研究が教えてくれるのは、ここまで
脳科学の研究では、SPS(高感受性)という特性と、脳の反応の違いとの関連が報告されています。1997年の尺度開発から、2014年のfMRI研究、双生児を対象とした行動遺伝学研究まで、研究が積み重なってきました。
ユング心理学は、その感覚に構造と言葉を与えました。参加神秘・投影・個性化という概念は、「境界が薄れる」という体験を、心の構造として理解するための枠組みを提供しています。
立場は異なります。脳科学は脳を、ユングは心の理論を、仏教は思想を扱っています。それでも私は、この三つを重ねて読んだとき、一つの共通した問いが浮かび上がってくるように感じました。境界が薄いことは、本当に欠陥なのだろうか、と。
エンパスではない人にも、知ってほしいことがあります。本人が好きで気にしすぎているわけではない、ということです。「考えすぎ」と止めるより、「今、何を感じたの?」と聞いてもらえるだけで、エンパスは自分の感情を見分けやすくなることがあります。
私は、この感受性を才能だと思っています。ただし、感じる力を消す必要はありません。同時に、感じたものを、全部自分で引き受ける必要もありません。
相手の感情なのか、自分の感情なのか。それを少しずつ見分けていくこと。それが、この才能と、これから長く付き合っていくための、唯一の方法だと思っています。
これは、エンパスの光です。

よくある質問
Q. エンパスは医学用語ですか?
A. いいえ。エンパスは医学的な診断名ではなく、他者の感情に強く影響を受けやすい人を表す一般的な言葉です。
Q. エンパスとHSPは同じですか?
A. 重なる部分は多いですが、完全に同じ概念ではありません。HSP(高感受性)は心理学で測定されている特性で、エンパスはそれを含む、より広い体験を指す言葉として使われています。
Q. エンパスは生まれつきですか?
A. 研究では、感受性の個人差の一部は遺伝的要因、残りは環境要因によって説明されるとされています。生まれつきの要因と、育った環境の両方が関わっていると考えられています。
Q. 感じすぎる力をなくす必要がありますか?
A. なくす必要はありません。大切なのは、感じたものを全部自分で引き受けず、相手の感情と自分の感情を少しずつ見分けていくことです。-
著者について
ai美。自身も長くエンパスとして生きてきた一人として、この感受性の正体を知りたくて、脳科学・心理学・トランスパーソナルな領域を独自に学んできました。本記事は医療的な診断や治療を目的としたものではなく、当事者としての体験と、調べてきた知見をもとに構成しています。心身の不調が続く場合は、医療機関や専門家への相談をおすすめします。
参考文献
- Aron, E. N., & Aron, A. (1997). Sensory-processing sensitivity and its relation to introversion and emotionality. Journal of Personality and Social Psychology, 73(2), 345–368.
- Lionetti, F., et al. (2018). Dandelions, tulips and orchids: evidence for the existence of low-sensitive, medium-sensitive and high-sensitive individuals. Translational Psychiatry, 8, 24.
- Acevedo, B. P., Aron, E. N., Aron, A., et al. (2014). The highly sensitive brain: an fMRI study of sensory processing sensitivity and response to others' emotions. Brain and Behavior, 4(4), 580–594.
- 環境感受性の遺伝率に関する双生児研究(思春期の双生児を対象に、Highly Sensitive Child尺度を用いた行動遺伝学研究)
- Jung, C. G. Psychological Types(邦題『タイプ論』)/ The Archetypes and the Collective Unconscious(邦題『元型論』)——参加神秘・投影・個性化の概念について
- Orloff, J. The Genius of Empathy / 邦訳『LAの人気精神科医が教える 共感力が高すぎて疲れてしまうがなくなる本』
- 仏教における無我・縁起・四無量心(慈悲喜捨)の教え
※本記事は、これらの研究・著作・伝統的教えを参照しつつ、著者自身の体験と解釈を交えて構成しています。事実として確認されている部分と、著者の解釈・信念にあたる部分は、本文中でできる限り区別して記載しています。
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